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キシアコの歩み

元不登校生の不登校だった思い出その2~療養期からリハビリ期~

投稿日:2020年4月27日 更新日:

こんにちは!キシアコです。
今日は以前の不登校になった記事の続きです。
不登校の状態にも色々ありまして、原因が解決すれば学校に行けるようになることもあれば、しばらくのリハビリ期間を過ごしたあと復帰する場合もあります。
私の場合は、もう少し深い段階までいきました。
どのような時期を経て今に至るのか、紹介したいと思います。

療養の時期

不登校直後

「学校に行きたくない」と親に告げることができた私ですが、それで張りつめていた糸が切れたのでしょう。
数日は布団の中から出られませんでした。
食事は食卓まで食べに行く必要がありましたが、怖くて家族の誰とも顔を合わせられなかったので、みんなと時間をずらして、私のために残してあったラップのかかったご飯を食べました。
少しずつ、少しずつ、自分の部屋で本を読んだり、母と喋ったりすることができるようになります。
しばらくすると、居間でゲームもできるようになりました。
しかし、人がまだ恐怖の対象であった時期です。
人の影が見えたり(幻覚です)、人がひそひそと話している声が聞こえたり(幻聴です)。
あまりに外に出ることを怖がる私を不憫に思ったのか、誰とも会わないであろう夜に(田舎だからね)、母が散歩に連れ出してくれたことがあります。
そういえば、ひんやりと冷たい夜の空気を好きになったのは、この頃からかもしれません。

小学校卒業前後

結局、不登校になってから小学校のうちに学校へ行ったのは、卒業式前の1日と卒業式当日だけでした。
同級生のみんなと会わないよう、離れたところから卒業式の練習を見て、当日に挑んだのでした。

ちなみに、私が不登校になった時点で、以前の記事の原因1と2に関しては、ほぼ解決していたのです。
前例がなかったので、学校側も家族も、どえらいことになった…!と奔走してくれたのでしょう。
学校を休んでいる間に、先生がクラスメイト全員からのお手紙を届けてくれました。
“早く元気になってね” “一緒に遊ぼうね”
自分はいらない存在だと思っていた私には、嬉しくて次々に涙があふれてきました。
それでもすんなり学校へ行けなかったのは、私の心が回復していなかったから。
みんなに会いたい、でもしんどい…という板挟みの時期でもありました。

リハビリの時期

中学校入学

環境が変われば大丈夫かもしれない。
中学校へ入学してから、私は学校へ行き始めました。
…甘かったですね。まだまだ傷口はジュクジュク、血が滲みだしていたようです。
思春期という時期もあるのか、人はなかなか自分と違う存在を受け入れられなかったのでしょう。
1、2か月のうちに、再び学校へ行けなくなりました。

ただ、小学校と違ったのは、保健室の横に「相談室」という部屋があったのです。
教室に行くことができない生徒が居ることのできる部屋で、授業を受けることはできないけれど、自習をしたり本を読んだり、穏やかに過ごせる場所でした。
教室には行けないけど、相談室なら。という生徒が他にもいて、この場所で仲良くなった友人もいます。

中学校卒業まで

上記の相談室のおかげで、中学校は半分くらい登校したでしょうか。
新学期になるたびに、今回はいけるかも!と思って教室にチャレンジするも、やっぱりしんどくなって休み、少し回復したら相談室へ…という流れを何回も繰り返しました。

2年生の時、一回徹底的に諦めよう、と思って、テストも何も受けなかった時があります。
それでも学期末には通知表がもらえるんですよ。
10段階評価で、オール1。
そりゃそうだよな、と家族に見せたところ、母が大喜びして神棚に置いていました。
こんな通知表、見れることないで!と。
お、おう…。確かに、なかなかお目にかかれるものではないかもしれない。

3年生の時には、わりと教室にいる時間も長くなり、学校行事も参加していました。
運動会で応援団もやったしね。学ランにたすき掛けの姿を友人に褒められたなぁ。

社会復帰の時期

高校入学以降

学校へ行っていなかったので、当然中学校の内申点は散々なものです。
実家も裕福でないため、進学するとなれば公立高校しかいけません。
なんとか、自宅から自転車で10分弱の高校へ入学することができました。
その高校はもう統合でなくなってしまったのですが、偏差値たぶん40あるかないかくらいだったかなと思います。
…本当は、高校に行かずに就職しようと思っていたんですけど、親に本気で止められました。

そんな中で迎えた高校生活ですが、意外や意外、快適なものでした。
偏差値が低い学校であるため、入学後しばらくの授業は中学の復習から。
中学生の勉強をすっ飛ばしてきた私にとって、大変ありがたい内容です。
勉強も部活もゆるーい感じの校風だったことが、当時の私にはぴったりでした。
やりたいことはやらせてもらえましたしね。

それでも月に1回ほど、体が動かなくなる日があったので、その日は休んでいました。
以前の私を思えば、月に1回の休養で生活できるのなら成長したものです。

●  ●  ●

ひとまず不登校の時期はここまでです。
高校生以降はこのまま順調にいくのかと思いきや、再び大波に呑まれます。
育ってきた環境は、けっこう尾を引くのですよ。
ではまた次回に。

-キシアコの歩み

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某自治体公務員。

小6から中3にかけて不登校を経験し、底辺高校を経て地方公務員へ。

こじらせた人間関係をバネに、コミュニケーションや心理学を学び、現在は所属とは別に業務改善などの活動をしています。

社会復帰の道筋や働く中での自分の在り方、楽しく生きられる方法などを発信中。

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